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「趣人」03目次より |
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03 topページへ |
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お客様●中村翫雀さん
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中村翫雀
(なかむらかんじゃく)
1959年京都生まれ
慶應義塾大学法学部卒
父・中村鴈治郎、母・扇千景の長男として生まれる
1995年、中村翫雀を襲名
2005年には四代目中村鴈治郎を襲名予定 |
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川畑 「今日は公演の合間におしかけてどうもすみません」
翫雀 「いえいえ、こちらこそ慌ただしくて申しわけありません」
川畑 「今回は八千代座の平成こけら落としということで来られたわけですが、どうですか、この劇場は」
翫雀 「いいですね。舞台と客席の距離がものすごく近いでしょ、だから臨場感が全然違いますね。花道にしても普通の劇場に比べて高さが低いから、出ていった時にお客様の中にどーんと入っていくような感じがしていいですね。考えてみれば本来花道っていうのは、これが一番自然な形なんでしょうけど」
川畑 「地元の方々の熱い想いがこうして八千代座を復興させることになったわけですけど、やはりいいものはこうしていつまでも残しておくべきですね」
翫雀 「ほんとにそうですね。こういった場所でやらせてもらうと歌舞伎の原点のようなものを改めて感じますね」
川畑 「それはどういう」
翫雀 「基本的に歌舞伎というのは庶民の娯楽です。能、狂言が貴族いわゆる限られた教養のある方々のものだったとしたら、歌舞伎は、民衆の楽しみとして生まれたものなんです。この劇場もいってみれば温泉街の娯楽施設としてあったわけでしょう」
川畑 「そうですね、温泉と商工業で栄えた旦那衆が明治43年に作った劇場ですからね」
翫雀 「でしょ、そこで歌舞伎やったりしてうけてたわけですから。他にうけるものといえば大衆演劇でしょ。そういう意味では本来歌舞伎は、大衆演劇と同じ位置にあったものなんですよ。だからもっと気楽に楽しんでもらえると嬉しいんですが、なかには『見に来て下さい』っていうと『じゃあ勉強してから伺います』っておっしゃる方もいて(笑)、そのへんがつらいとこなんですけど」
川畑 「でもその方の気持ちもわかるなぁ(笑)。日本の伝統文化っていうことでつい構えちゃうのかもしれませんね」
翫雀 「大丈夫です、どうぞ気楽に観て下さい。それも出来るだけ数多く(笑)」
川畑 「11月は博多座でしたよね」
翫雀 「はい、5日から26日までやります。今回やる『通し狂言小笠原騒動』っていう芝居は、それこそ歌舞伎の原点である娯楽がいっぱい詰まった作品です。早変わり、宙のり、それに本水を使った水車小屋での立ち回りなど、歌舞伎を初めて観る方にも楽しんでもらえると思いますので、ぜひ足を運んで下さい」
川畑 「わかりました。11月5日から博多座ですね。ここ、太字にしておきますから(笑)。ところで翫雀さんは聞いた所によると、昔は歌舞伎役者になるつもりはなかったそうですね」
翫雀 「はい、全然なかったですね。一応8歳の時に初舞台は踏んでそれから小学校の間は出てましたけど、それっきりで、中学、高校の間はまるっきり出てません。というのもうちの父は子供は学業優先という考え方だったんですよ。だから芝居よりもまず学業をちゃんとしろと。そういう感じだったんです」
川畑 「じゃあこの道を改めて選んだ時は大変だったでしょう」
翫雀 「もう大変も大変、穴がいくつあっても足りないくらい(笑)だって三味線の稽古を始めたのも僕、20歳になってからですよ。周りみたらみんなもうすごいわけですよ。ただ、役者っていう商売は70、80までやれるでしょ。だからその時までにはなんとかブランクを克服出来ると信じてやってますけど」
川畑 「翫雀さんは男と女役の両方やられますよね」
翫雀 「はい、大体うちの家系はどっちもやることが多いですね。それも若い頃女形やってて、で、タチ役にまわるというパターンが多いですね。というのも若い頃女形やっておくと、タチ役をやった時にちょっと色気があるんですよ。柔らかい体の使い方が出来るっていうか、それは大きな強みになるみたいですね」
川畑 「なるほど、男の色気は柔らかい体に宿るってわけですか」
翫雀 「江戸の勇壮活発な荒事に対し、うちの家系は上方のいわゆる、やわらかい和事系なんです」
川畑 「荒事の気風を具現したのが初代の市川団十郎ですね。隈取りで見得をきるという」
翫雀 「そうです、対して和事を代表する役者が沢田藤十郎です。そしてその沢田のためにたくさんの芝居を書いたのが近松門左衛門なんです」
川畑 「その藤十郎をお父様の鴈治郎さんがおつぎになるとか」
翫雀 「はい、団十郎が代々続いているのに対して、藤十郎は途絶えてしまってますからね。上方の歌舞伎のためにも、これだけ大きな名前をこのままにしてはいけないという気持ちが父にはすごくあるんですね。近松ものをやるために近松座を建てたぐらいですからね、近松と藤十郎への思い入れはとても強いんですよ」
川畑 「お父様のことをお聞きしたので、あわせてお母さまの扇千景さんのことも聞きたいんですが。どうですか、お母さまが大臣になられて」
翫雀 「う〜ん、僕としては特別な感慨はないですね、たまたま役者の女房が後から政治家になったっていうことですから。第一母が女優やってた頃から、家族バラバラの生活で、ほら役者っていうのはずっと巡業まわってるでしょ、現に僕も今ここで一人でいるわけですし、もちろん父もそうだし。だから昔からあんまり会ってないんですよ(笑)。自分の女房子供にも会えないぐらいですから」
川畑 「息子さんの壱太郎さんにもこの道に進んで欲しいですか」
翫雀 「いや、彼にヤル気があればね。いやいや出来る商売じゃないですから」
川畑 「そろそろお時間が来たみたいですね、最後に何かあれば」
翫雀 「ぜひ11月の博多座に足を運んで下さい(笑)。楽しい歌舞伎をお見せします」
川畑 「わかりました。もう一度そこのところ、太字にしておきましょう(笑)。今日はお忙しい中、ありがとうございました」
翫雀 「こちらこそ、ありがとうございました」 |
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川畑摩心(かわばたまこと) 料理屋趣人/株式会社「観山」社長
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